


昨日で年内最終開館(予定)。午後から私の都合で開館することもあって、かなり混雑した。3年生の貸出が多いのが気になる。
私「センター受けない…んだよね?」
生徒A「あはは受けまーす!」
生徒B「一日一冊読まないと勉強できないんですー、えへへ」
トショカン的にはどんどん本を借りて読んでほしいのだが・・・。まぁがんばれ受験生!
以前住んでいた街に行った。物心両面でお世話になっていた方が少し前に亡くなり、遺族の皆様の様子をうかがいたかったのだ。奥様はご友人と御旅行(ちょっと安心)ということでお逢いできなかったが、お母様とお話しすることができた。もらい泣きしてしまう話もあったが、前向きに生きていますという言葉に私が励まされた。人の死を悲しんだりしなくてもいいのだと、スピリチュアルダンナに日々講義を受けているのにねぇ。もう二度とお逢いすることができないと思うと、寂しい。
その街には、私が住んでいた頃にはなかった巨大書店ができていた。…2時間半立ち読みしてしまった。新しい本っていいわ〜。最近では雑誌ばかりでとんと読むことのなくなった図書館学の本を漁った。ガッコウトショカンの本は司書教諭講習向けで、全く現実に即してないので読まなかったが。最近思うのは、ガッコウトショカンを司書教諭で、というのなら、ガッコウシショが司書教諭をとりゃいいじゃんと思う。ガッコウトショカンの仕事は、先生の仕事をやって、その片手間でできるほど簡単じゃない。先生方に、授業や担任を一切やめて、ガッコウトショカンの仕事に専念する勇気(?)はあるのだろうか。それができないということは、ガッコウトショカンの機能を甘く見ているということだし、そう思う方にガッコウトショカンの運営をしてもらう学校の生徒は不幸だ。ガッコウトショカンは学校の一部で、教育に携わる機関だから先生がやる、そういうのなら、本気でやってほしい。それが無理なら学校司書が資格取りますので発令して下さい。その昔、司書の資格を学校でとらせてくれたこともあったそうだ。自分でとる努力はするけれど、協力してほしい。学校司書で司書教諭をすでに持っている人は腐るほどいるけれど。東京でそれをやって、ひどいことになったとは聞いているけれど。なんだか話がとんでもない方向に行った気もするが、最近そう考える。書店ではいろいろ買った。松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』とか。千夜千冊は買えないもんね。
で、行き帰りの電車の中で『リズム』と『ウェブ人間論』を読む。『リズム』は、森絵都さんは『永遠の出口』以降しか本気で読んでなかったし、よく出る本だけれど最近行方不明になったので人気のある本なのだなと、いつか読みたいと思っていた。青い鳥文庫で続編の『ゴールドフィッシュ』と一緒に、手軽に読めるようになったのでようやく手にとった。主人公・さゆきちゃんの人となりがイマイチつかめなかったのだが、周りの優しい大人とキチンと接しながらのびのびと育っていてよかったねえというのが感想。歌を歌うことが好きなイトコの金髪・真ちゃんの夢を一生懸命応援し、だけどそれは自分の夢と混ぜこぜになっていて…。なんてことない話なのだけれど、面白かった。トショカンは出てきませんでした。『ウェブ人間論』も面白かった。ベストセラー『ウェブ進化論』の梅田さんと、芥川賞作家平野啓一郎さんの対談を通して、ウェブと人間の過去未来を見る。グーグルブックサーチの話では、表現者として死活問題の平野氏が熱くなっていた。人のうわさはすぐ消えるのに、ネットでは残り続けるとか。
p109 梅田 …一つの悪意が無数の善意を吹き飛ばしてしまう。…でも、それでネットを否定してしまったら、もったいない。個として、そういう負の部分をやり過ごす強さとか、見ないようにするリテラシーを、これからのネット社会では身につけなくてはいけないと思うんです。
匿名性やそれに伴う悪意の一人歩きは今後もなくならない。コピー防止もいたちごっこだろう。有名人は大変だなあと思った。